東京地方裁判所 昭和40年(ワ)7771号 判決 1968年2月05日
原告
株式会社・緑屋
訴訟代人
橋本雄彦
稲垣規一
被告
国
指定代理人
鎌田泰輝
高野幸雄
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一 当事者双方の申立
原告訴訟代理人は、「一、被告に対し金八九九万七、一七二円及びこれに対する昭和四〇年八月四日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。二、訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行を求め、被告指定代理人は、主文と同旨の判決を求め、なお仮執行の宣言を付する場合には担保を条件とする執行免脱の宣言を求める。
第二 当事者双方の事実上の陳述≪省略≫
第三 証 拠≪省略≫
理由
一東京地方裁判所民事第二一部裁判官武田平次郎が、昭和四〇年八月二日訴外永野末弘、同石橋唯次と原告との間に昭和三七年九月二九日締結された株券の寄託並びに身元保証契約による身元保証金の先取特権に基くとして、原告が訴外株式会社大和銀行世田谷支店に対して有する預金債権について、次の債権差押転付命令を発したことは当事者に争いがない。
(イ) 昭和四〇年(ル)第二、四二〇号、(ヲ)第二、六三八号
債権者、永野末弘
債務者、原告
第三債務者、株式会社大和銀行
差押並びに転付すべき債権、債務者が第三債務者に対して有する普通預金債権のうち金五九五万一、一三四円
弁済を受くべき債権、債権者債務者間の昭和三七年九月二九日付寄託並びに身元保証契約による身元保証金返還請求債権金五九五万一、一三四円
(ロ) 昭和四〇年(ル)第二、四二一号、(ヲ)第二、六三九号
債権者、石橋唯次
債務者、原告
第三債務者、株式会社大和銀行
差押並びに転付すべき債権、債務者が第三債務者に対して有する普通預金債権のうち金三〇四万六、〇三八円
弁済を受くべき、債権、債権者債務者間の昭和三七年九月二九日付寄託並びに身元保証契約による身元保証金返還請求債権金三〇四万六、〇三八円
二原告は、右差押転付命令は債務名義によらず単に身元保証金の先取特権に基くとして発せられたが、先取特権に基いて差押転付命令を発しうる法律上の根拠はないから、前記武田裁判官が右命令を発した行為は故意又は過失に基く違法な処分であると主張するので、まずこの点について判断する。
前記差押転付命令が債務名義によらず、先取特権に基くとして発せられたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、右差押転付命令は、商法第二九五条第一項所定の一般先取特権に基き発せられたものと認められる。
ところで、先取特権を含む担保物権の目的物に対する換価権能の行使方法について定めた競売法は、動産・不動産・船舶を対象とする競売手続を規定するのみであつて、債権その他の財産権に対する換価手続に関する損定を欠いており、その他の法令にも権利質権の実行方法について民法第三六八条が民事訴訟法に定める執行方法による旨規定するほか、担保物権の債権等に対する換価権能行使の方法についての規定はなく、この点に関し現行法は不備な状態にあり、問題の解決は法の解釈運用に委ねられているといわなければならない。
このような場合に、明文の規定がないことを理由に債権等に対する換価権能の実行を許されないと解することは、担保物権の換価権能の実効性を弱める結果を招くので、これを避けるために現行法上認められている強制換価手続のうちで最もよくこの目的に適応した手続をその性質の許す限り類推適用すべきであるとし、既に権利質の場合に民法第三六八条により債務名義なくして民事訴訟法に定める執行方法である差押移付等の方法の準用が認められており、債権の強制的実現と担保物権の実行による実現とはその性質が極めて類似しているので(競売法による競売手続について民事訴訟法強制執行編の規定の準用を認める諸判例参照)、担保物権に対する実行について民事訴訟法に定める執行方法によるべきものとする見解もあり、現に抵当権の目的物が債権に転化した場合に、債権に対する換価権能の行使について差押転付命令の方法によるべきものと認めた判例(大審院昭和一三年五月五日民集一七巻八四二頁)もある。従つて、一般先取特権についても実体法の趣旨、競売法の規定に照らし、個々の財産に対する換価権能の行使を認められていると解されるので、債権に対する行使方法について前記の見解に従い、債務名義なくして債権差押転付命令の方法によつて換価権能を行使しうると解することも、法理論として必ずしも首肯できない解釈ではない。
次に右の問題に関する裁判実務例を見るに、<証拠>によれば、東京、前橋、大阪の各地方裁判所において先取特権に基き債権差押転付命令を発した実務処理例の存在することが窺われ、又成立に争いのない乙第八号証(柳川真佐夫編・強制執行の実態二〇二頁)によれば、先取特権に基き債務名義なくして債権に対する執行が許されるとする見解が示されている。
そして<証拠>によれば、訴外永野等が提出した本件差押転付命令申請書の申請理由中に先取特権に基く債権の換価方法に関連する法律上の問題点が可成詳細に指摘されていることが認められるし、先取特権に基く債権差押転付命令申立事件は実務上珍しい事件であることは当裁判所に顕著なところであるから、担当の裁判官が右申請書を読了、問題点を充分把握し命令発付の法律的可否を熟慮検討のうえで、前記の解釈を採用し本件差押転付命令を発したものであることが窺われる。
元来、先取特権の制度は、裁判実務上は執行事件、破産事件等における配当手続において利用されることが多いのが一般であつた。しかしながら、戦後は雇傭関係から生ずる債権について、右制度を積極的に利用する傾向を生じ、昭和二五年六月二七日東京地方裁判所は退職金債権は商法第二九五条により一般の先取特権を有するとして、債務者所有の不動産につき先取特権の設定登記手続の請求を認容しているし(下級裁判所民事裁判例集第一巻六号一〇〇〇頁)、前述の東京、大阪各地方裁判所の裁判例をみるに、前者は退職金債権、後者は給料債権に基いて、債権差押転付命令を発しているのである。本件における差押転付命令も原告会社を退職した者が身元保証のため差入れた株式の返還に代る譲渡代金の請求権に基くもので、雇傭関係に基くものということができる。前掲乙第八号証によると、使用人側において商法第二九五条を活用し、先取特権に基く各種の競売、債権に対する執行ができる旨記載されている。
このように先取特権制度が労働者の賃金等の保護などのために積極的に利用され始めて来たのに、先取特権の実行、特に債権に対する実行方法について長く立法的に不備のまま放置されており、しかも学説裁判例の見るべきものの少ない場合において、担当裁判官が先取特権制度の活用のために前記の見解をとつたことは一つの見識というべきであつて、その結果が仮に通説の支持しないところとなつたとしても、単にそれだけで裁判官の過失をもつて目すべき筋合ではない。そしてかように論ずることは単に裁判官に責任を生ずる範囲を制限するためのものではなく、真に裁判官が良心に従い自己の信念に基いて裁判をすることを確保し、これを通じて裁判事務の取扱いの進歩改善を計るために必要な解釈であると考える。
以上のとおり、前記裁判官は自己の識見と信念に従つて法を解釈適用し、本件差押転付命令を発したものと認められ、右法律的見解も前記のようにこれを支持する裁判例、学説も他に存在する以上、右裁判官の主観に偏した独断的見解とは到底いいがたいから、右裁判官の職務執行に故意又は過失に基く違法があるとはいえない。この点に関する原告の主張は理由がない。
三次に原告は、本件差押転付命令は原告を債務者として発せられているが、原告は右命令の基本債権の発生原因である昭和三十七年九月二九日付寄託並びに身元保証契約の当事者ではないし、又仮に当事者であるとしても、訴外永野等と原告との間に寄託株券譲渡契約はなく、仮に右譲渡契約があるとしても無効であるから、いずれにしても原告は右永野等に対し本件命令の基本債権である金銭債務を負担している事実はなく、この点において右差押転付命令には違法があると主張するので、この点について判断する。
本件差押転付命令を発した裁判官の職務執行に原告主張のような違法があつたかどうかの判断にあたつては、本訴訟の証拠調によつて得た資料をも加えて事後において純客観的に判断されるべきではなく、右命令申請を受けた裁判官の立場において、その行使が認められている権能及びこれに基いて収集し得た証拠資料を基礎とし、客観的に見て当該裁判官の認定が相当かどうかを判断すべきものと解する。
ところで、差押転付命令は民事訴訟法によつて認められる債権に対する強制執行における換価方法の一であるが、強制執行において法は執行債権の迅速円滑な実現を計るために、執行債権の存否については債務名義によらしめ、執行の対象についても権利存在を推定させる外形を基礎として執行を進めることを許すなど執行機関が実体的権利の存否を判断する負担を軽減し、その結果生ずることが予想される実体上の権利関係とのくいちがいは、実体法上或いは執行法上の手段による救済(不当利得返還又は不法行為による損害賠償請求、請求異議の訴、第三者異議の訴その他による救済)に委ねている。すなわち、執行の段階においては実体的権利の存否の認定は或る程度犠牲にされているとも見られるので、仮に執行が実体法上の権利関係に反する結果となつたとしても、それは執行制度上予想されていることなので執行行為をなすことに違法はない。
さて債権差押転付命令による執行手続を見ると、差押命令と転付命令を併合して申請することが許されており、この場合には債務者が執行妨害に出るのを防ぐため執行裁判所は債務者及び第三債務者を審訊することを許されない(民事訴訟法第五九七条)。かくて執行裁判所は、命令申請の許否を判断するにあたつて債権者の審訊及びその提出する書面によつて証拠を収集する権能を認められるにすぎず、裁判所の命令申請に対する審査権能にも自から制約があるといわなければならない。
従つて先取特権に基き債務名義なくして債権差押転付命令を発しうるとする前記見解に立つならば、債務名義を必要としない以上、基本債権及び先取特権の存否について右の方法によつて証拠を収集して判断をさせるをえないこととなるが、この場合に裁判官が自己の識見と信念に基き与えられた権能をその目的に沿つて的確に行使し、これによつて収集した証拠による判断に経験則乃至論理則違背がない限り、前述の執行制度の建前から見てその判断が結果的には実体に反していることをもつて、その職務執行には故意又は過失に基く違法があるとはいえないと解される。
これを本件差押転付命令について見るに、<証拠>によれば、訴外永野等の代理人弁護士遠藤誠から債務者を原告として東京地方裁判所民事第二一部に提出された「先取特権による債権差押転付命令申請書」(乙第三、四号証)には、訴外永野等と緑屋商事との間の「寄託並びに身元保証契約書」(甲第三、四号証)、原告から訴外永野等を宛名人とする「株券預り証」(乙第一、二号証)、訴外永野等から原告を宛名人とする「仮受領証及び請求書」(乙第九号証の一、二、乙第一〇号証の一、二)が添付されていたものであることが認められるが、乙第三、四号証によれば、訴外永野等はいずれも原告会社に在職中原告に預託した身元保証金を、原告会社を円満退職したことにより返還する権利を基本債権として商法第二九五条第一項所定の先取特権に基き、差押転付命令を申請しているものと認められるところ、前掲<証拠>によれば、昭和三七年九月二九日訴外永野等と緑屋商事との間に寄託並びに身元保証契約が締結され、訴外永野等は所有する原告の株券を緑屋商事に寄託し、緑屋商事は右寄託された株式の価格を限度として訴外永野等が勤務中に故意又は重大な過失により原告に及ぼした損害の賠償責任を引受けたこと、右契約において訴外永野等が退職した場合、寄託株式を緑屋商事又はその指定する者に退職時の株式市場の取引価格をもつて譲渡する旨の約定がなされたこと、原告は訴外永野から二万六、六〇〇株、訴外石橋から一万三、六〇〇株の原告株券をそれぞれ預つていたこと、原告は訴外永野に一三三万円、訴外石橋に六八万円をそれぞれ小切手で支払つており、訴外永野等はこれを身元保証金返還債権(株式売買代金債権)の内金及び退職時から支払日までの遅延損害金として受領し、残額を原告に対し支払請求していることが認められる。なお訴外永野等の退職時の東京株式市場第二部における原告会社の株式の単価はいずれも二六八円であつたことは当事者間に争いがない。
これらの事実に債権者たる訴外永野等の申述を総合して、担当裁判官が原告は訴外永野から退職した日の株式市場における取引価格で寄託株式の譲渡を受け、その代金の一部を支払い、なお残代金として訴外永野に対し五九五万一、一三四円、訴外石橋に対し三〇四万六、〇三八円を支払う債務を負つており、右債権は商法第二九五条によつて先取特権によつて担保されていると判断したとしても、執行裁判所の前記権能を考慮すれば、その判断に経験則乃至論理則違背があるものとはいえない。又、原告が訴外永野等から右株式を譲受ける契約は商法の自己株式取得の禁止規定に触れることとなるが、右規定に触れる契約の効力については見解が岐れるところであり、担当裁判官が有効との見解を採つたとしても、これをもつて直ちに過失に基く違法があるとすることはできない。
従つて、裁判官が原告に訴外永野等に対する債務があると認定して本件差押転付命令を発した職務行為には、何等故意又は過失に基く違法はなく、仮に結果的には原告は訴外永野等に対して債務を負わないと認定されたとしても、前記の如き強制執行の建前から見て、右の結論は左右されないといわなければならない。
してみれば、原告の主張はその余の点について判断するまでもなく理由がないこととなる。
四以上に説示したとおり、本件担当裁判官が本件差押転付命令を発した行為には原告主張の如き故意又は過失に基く違法はなく、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。(岡垣 学 宗方武)(裁判長大塚正夫海外出張中のため署名捺印できない)